2013年10月6日日曜日

『もぐら感覚シリーズ2』を発刊しました。


『もぐら通信』に連載して来た『もぐら感覚』シリーズをまとめて、『もぐら感覚シリーズ2』として発刊しました。

お読み下さると、嬉しく存じます。

http://goo.gl/khHqR5

目次は、次の通りです。



VIII 笑い
IX 顔
X  かいわれ大根
XI 自走するベッド
XII ひとさらい
XIII 放蕩息子
XIV 夜



『言葉の眼』(秋季号)を発行しました。

『言葉の眼』(秋季号)を発行しました。

お読み下さると、嬉しい。

目次は、次の通りです。

1。秋季の辞
2。アイヒェンドルフの詩44:悪い選択
3。小説:遁走倶楽部


https://upub.jp/books/11190

2013年9月16日月曜日

遁走倶楽部 第1章 デアンダール岩の祝祭

遁走倶楽部

目次


1。デアンダール岩の祝祭

2。SandWitchesにて

3。町の地図

4。虚体祭

5。堂宇の殺人

6。コギト革命(cogito revolution)
7。ほとさらい



第1章 デアンダール岩の祝祭

この町について話すなら、人間の話よりも、岩についての話の方が、面白いだろう。

この港町には奇岩があって、一年に一回住民の記憶に思い出される岩があるのだ。

それは、八月の満月のときに、いつも海岸の同じ位置に、気がつくと姿を現し、月の欠けるうちに、いつとはなく姿を隠してしまう。その前後は、町人に忘却されるので、岩が存在していても、それが人々の眼に映ることはない。始めも終わりもない不思議な岩である。

その奇岩の名前は、デンデロデール岩と言ったか、又はデアンダール岩といったか。どちらが正しいのか。どうやら、前者のようであるが、まだ本当には確かめたことがない。

その奇岩が見事なので、住民は、山の方からも、町中からも集まって来て、夏の夜を海風に吹かれながら、潮の満ち引きの透明な韻律にこころを漂わせながら、ただただ岩を鑑賞するのである。中には弁当持参のものもいて、家族で来る連中などは、茣蓙を敷いて、弁当をひろげ、静かに酒を飲んでは、横になり、眠ることなく、デンデロデール岩を飽かず、魅入られたように眺めている。

この町にはSandWitchesという名前のサンドイッチ屋がある。砂の魔女。海岸のそばの、丁度デンデロデール岩を見晴らすことのできる対岸と言っていい位置に店を構えているので、そこのテラスに坐って、ぼうっとしながら、砂の魔女という名前のサンドイッチ、食べ易く切った鰊(にしん)の身にころもをつけて軽く揚げ醤油に浸たしたものにレタスを載せた奇態なサンドイッチを頬ばりながら、少し遠目にその岩を眺める人々で、この時期、この店は賑わうのだ。

町のある海岸からデアンダール岩をひとしきり眺めてから、桟橋から船に乗って目の前の島に渡り、そこからデンデロデール岩の後ろ姿を眺めるのが乙だという者がいて、それは夏の消閑にも合った趣向ということになったようで、住民の間に広まり、連絡船が定期便で出て、陸側の桟橋と中の島の桟橋の間を1時間に2本の頻度で往復をしている。この短い往復を楽しみにしている者も多いのである。

中の島から見るデアンダール岩の姿が後ろ姿なのかどうかということは、この町のひとたちの積年の議論の種であり、郷土史家も巻き込んで、それは後ろではないという否定派と、いやそれは後ろであるという肯定派と、二手に分かれて、この時期議論が喧(かまびす)しい。不思議なことは、誰もこの岩の前面についての議論をしないということであり、これがこの岩についての不思議のひとつになっている。しかし、町人はだれもそれを意識しないのであるから、不思議にもならない不思議という、誠に不思議な話になっている次第だ。

夜目には、湾の上にかかる満月が煌々と照っていて、中の島の建物群とその向こうの対岸の建物群の白が密集してみえる。それは、恰も骸骨の白い骨を彫り込んで製作したミニチュアの家々の、白ら骨の家々のようにみえる。稠密に彫られて、よく出来ているミニチュアだ。

そのような視界の周辺に、神々しきデアンダール岩が現れているさまは圧巻である。

何故わたしだけが、この岩のことを忘れずにいて、いつも覚えているのだろう。わたしは、もとは漁師であって、海に出て嵐に遭い、船が流されてこの土地に漂着したという気が頻りにする。自分は漂着した漁師だという思いを払拭することができない。わたしは、attachmentだという感覚が、折に触れ、わたしの中にふと湧いて出て、そのときに、これも不図海辺に目をやると、他の住民が忘れているのに、わたしにはデンデロデール岩の姿が目に入るのだ。いや、デアンダール岩がわたしを見ているという方がよいのかも知れない。そのときは、八月なのだろうか。わたしとこの岩との関係だけに、八月がやって来ているのだろうか。季節外れに、わたしはこの岩をみることができるのだ。だれも、このわたしの能力を知る者はいない。わたしだけの祝祭である、そのときは。

しかし、今宵は、町人とデンデロデール岩の存在を共有する喜びで、海辺へと小路を抜ける足取りも軽い。

わたしの今晩の予定は、まづSandWichesに行って、砂の魔女をテラスで食し、腹ごしらえをして、そこでしばらくぼうっとしてから、船に乗って中の島へ渡り、デアンダール岩の後ろ姿を嘆賞してから対岸に戻り、海辺沿いに歩いて岩まで行って、デンデロデール岩を拝み、帰り道すがら参詣の人ごみに混じって夜店を冷やかしてから、山の手にある住居に戻ろうというのである。

(続く)

2013年7月6日土曜日

言葉の眼(夏季号)第3号を出版しました。

言葉の眼(夏季号)第3号を出版しました。ダウンロードは、次のアドレスから:

http://upub.jp/books/10458

2013年7月3日水曜日

トーマス•マンのTonio Kroegerについてのブログ

トーマス•マンのTonio Kroegerについてのブログを見つけましたので、シェアします。

http://ameblo.jp/classical-literature/entry-11563344624.html

2013年6月22日土曜日

2013年3月31日日曜日

リルケ論「『ドィーノの悲歌』の天使像」を、アマゾンのキンドル本で出版しました。




リルケ論「『ドィーノの悲歌』の天使像」を、アマゾンのキンドル本で出版しました。御興味のある方は、お読み下さると、ありがたく存じます。


この本は、リルケの『ドィーノの悲歌』の天使像を論じたものです。『ドィーノの悲歌』の天使は、それまでリルケの歌った天使とは全く異なり、人間に畏怖の感情を起こさせる恐ろしい存在として歌われています。

その天使像を、悲歌1番の原文に忠実にテキストを読み解き、詳細に論じたのがこの作品です。リルケの天使に御興味のある方に、お読み戴ければ、幸いです。

特に、天使が地上では鏡に変身していて、世界中の天使が編隊を組んで、渦巻き状に天へと昇って行くというリルケの壮大なヴィジョンは、初めてわたしが読み解いたものです。これは、ドイツ人のドイツ文学者も誤読をしている箇所です。況や日本人の訳においておや。リルケのヴィジョンは素晴らしい、壮麗なものです。

このようなリルケの詩を読むと、一流の詩人とは、ヴィジョンの創造者だということが、実によく判ります。

また、悲歌第1連にある謎の一行を、悲歌の他の箇所の表現と比較対照しながら、また手塚富雄訳と古井由吉訳とその理解とは一線を画し、論理的にテキストに即して読み解いて、リルケの青春と謎一行の意味を読み解いています。

目次は、次の通りです。

0。はじめに
1。悲歌の原文
2。悲歌の天使
3。リルケの青春と謎の一行

2013年3月30日土曜日

『安部公房の詩を読む1』を刊行しました。


アマゾンのキンドルで『安部公房の詩を読む1』を刊行しました。お読み戴けると、幸いです。

http://goo.gl/2SSn4


I 内容

全くといってよいほど、詳細に読まれることのない、安部公房が10代から20代初期までに書いたふたつの詩集、『没我の地平』と『無名詩集』から3編の詩を選択して、その詩を読み解きました。

これらの詩集を読む為には、10代の安部公房が考え抜き20歳で書き上げた論文『詩と詩人(意識と無意識)』を読み、理解している必要があります。

この論文と、ふたつの詩集は、理論篇と実践篇の関係にあるからです。この本をお買い求めになる方には、別途上梓している『18歳、19歳、20歳の安部公房』も併せて、お読みになることをお薦め致します。一層深い、安部公房の理解を得ることができる筈です。

次の詩を、詳細に読解しております。

1。詩人(『没我の地平』)
2。理性の倦怠(『没我の地平』)
3。倦怠(『無名詩集』)

このように丁寧に、微に入り細を穿って、理論篇のいうところに従い、そうして同時に詩を読むとはどのようなことかを考えつつ、安部公房の詩を論じたものは、過去になかったと自負しております。

II 目次
目次は、次の通りです。

0。はじめに
1。詩を読むということ
2。「詩人」(『没我の地平』より)
3。「理性の倦怠」(『没我の地平』より)
4。「倦怠」(『無名詩集』より)

お読み下されば、幸いです。



http://goo.gl/2SSn4



2013年3月19日火曜日

『言葉の眼』(春季号)第2号を刊行しました。

『言葉の眼』(春季号)第2号を刊行しました。

目次は、次の通りです。

1。表紙:ショーペンハウアーの眼
2。表紙:春季の辞
3。Eichendorffの詩28:Die Nacht(夜というもの)
4。詩 わたしはわたし
5。三島由紀夫の『愛の処刑』を読む
6。お知らせ

お読み戴けると、ありがたく思います。以下のURLアドレスからダウンロードできます。

http://upub.jp/books/9443

2013年2月23日土曜日

岩田英哉著『鏡の王』を読んで



これは、Google+で知友のMian Xiaolinさんの書かれたわたしの短編小説『鏡の王』についての感想文です。

このような感想をお寄せ戴き、誠にありがとうございます。また、ひとさまに批評されて、その言葉に接することで、わたしを外側から眺める素晴らしい機会となりました。

以下に引用致します。


こんな疑問を持ったことはないだろうか。哲学者というのは、小難しい理論体系を作り上げているが、その成果は実生活とどのように結びついているのだろうか、と。たとえば『存在と時間』で知られるハイデッガーは、この著作をものにする3年前、大学の教え子と愛人関係になっている。その当時既婚者だったハイデッガーは愛人との享楽の時間を持ち続け、3年後に『存在と時間』を出版した。いったい、哲学者の頭の中身はどうなっているのだろうか。

あるいは、安部公房は20歳の時に『詩と詩人』という小論において、独自の哲学を展開している。彼の生涯の著作は、なんらかの形でこの『詩と詩人』で展開された理論に結びついていると言ってよいだろう。この『詩と詩人』において孤高への到達を強く意識した安部公房であるが、その一方で後年の小説において、彼は他人との触れ合いを切実に希求する姿を垣間見せている。両者はどのようにして両立しうるのか?

この問に真正面から答えようとするのが本書、『鏡の王』である。ナンセンスなドタバタ劇の体裁をとっていて、実際、あちこちで笑いを誘うが、その笑いと並行して、孤独と悲しみが疾走している。

鏡の王は、『円錐』城または『静寂』城と呼ばれる城の主である。円錐城は理性空間を示唆している。王は「自らの属する時空の最上位概念に至ることのできる、その様な人間」だと自分を定義しつつも「朝起きて、気分がすぐれず、集中力を欠くと、私は、機能的人間の最下位概念たる、寒空の下の乞食(こつじき)に、そのときは、なるな」などと自壊する。そしてまた「この山巓から平野部を遥かに見晴らかす城に、私をして私自身というものが存在するかと見えしむる事もあれば、我は此の石造りの牢獄に囚われの身ならんかと、また、私をして疑わしむる事もあるのだ」と言う。この辺りまでは、安部公房が『詩と詩人』の中で展開した理論とも対応している。実際、概念の上にさらに上位の概念を構築していく「次元展開」という抽象概念を小説の中で具現化して提示している。

この小説のユニークなところは、円錐城の「外」が存在する点にある。その「外」を表す重要なシンボルとして「シロナガスクジラノセイキ」がある。ホルマリン漬けになってシロナガスクジラの雌雄の生殖器が屹立しているのだ。これは、理性による作用とは独立して、大きな作用を示すものがあるという暗示として捉えられる。俗な話ではなく、たとえば脳にしても、大脳が司る部分と小脳・中脳が司る部分があって、これらはどちらも僕たちが生きていく上で重要な役割を果たしている。どちらか一方で生きていくわけにはいかない。

さて、円錐城の外には、居酒屋も存在する。そして、どうやら居酒屋の店主は、鏡の王の別の姿であるらしい。理性的活動の主が、また居酒屋の主でもあるという点に、先に挙げた理性的活動と日常生活とをどう両立させるかという視点が見え隠れする。

短編小説なので、これ以上書くとネタバレになってしまう。興味のある方はぜひ購入して読んでいただきたい。最後に、この短編小説は、ここGoogle+でお世話になっている +Eiya Iwata さんの作品であること、およびこの短編小説は1995年第3回パスカル文学賞の最終候補に残った作品であることを申し添えておきたい。


追記:
『鏡の王』は、次のアマゾンの書棚で買う事ができます。キンドル本です。

2013年2月20日水曜日

『鏡の王』という短編小説を、アマゾンのキンドルで出版しました。




『鏡の王』という短編小説を、アマゾンのキンドルで出版しました。

この短編小説は、1995年第3回パスカル文学賞の最終候補に残った、わたしの初めて書いた小説です。

これは、今、遁走倶楽部の大きな題名の元に書かれる一連の作品の嚆矢となる作品です。

わたしの創作の種子がすべて播かれております。

この小説は、どこにもない、この世ならぬ世界を描いております。

シュールレアリスティックな、時間のない世界です。

鏡の王の言葉と、その書記官の報告するレポートとが、内と外が入れ替わるようにして、記述され、読者を迷路に誘い込みます。

とにかく、読んで楽しい、ナンセンスの短編小説です。

読んで時間を無駄にした、このお金を払ってもったいなかったというひとは、居ないと確信しております。

もし金額に値しないと読後に思った方は、ご連絡下さい。返金致します。但し、送料はお持ち戴けると、ありがたく思います。

返金保証などというのは前代未聞。日本の出版史上初めてではないでしょうか。

ご興味があれば、お買い求め下さると、ありがたく思います。

次のURLアドレスです。


2013年1月8日火曜日

Facebookのいいね!ボタンは何を意味するのか?

「Facebookのいいね!ボタンは何を意味するのか?」という電子書籍を製作、アマゾンのキンドルで出版しました。

Facebookのいいね!ボタンは心理学の立ち場からみると、一体何を意味しているのか、何故そのボタンを押すのかを、最新のアメリカの心理学者のレポートを日本語で要約し、判り易く、あなたに伝えます。

ご興味のある方は、一寸覗いて下さると、ありがたく思います。

次のURLアドレスです。:

http://goo.gl/aPD2T