2014年5月10日土曜日

第二次王政復古を唱ふ


天皇陛下と第二次王政復古について


天皇陛下が公武合体政策を廃し、わたしは京都の御所に戻ると宣言し、実際にさうなさることが、よい。

これが、わたくしの意見です。

これは、言うなれば、第二次王政復古である。公武合体政策は、この100数十年で、もっと言えば、大東亜戦争で日本の国が敗戦したときに、その戦略的な使命と役割は終えたのである。近代日本の一個の戦略の長さとしては、十分な時間において有効であったと、わたしは思う。

当然、新たな首都は、1000年の歴史を有する京都になる。そうなれば、征夷大将軍の末裔、武士の末である筈の内閣総理大臣が、京都へ参り、宮中に参内して、その位を賜ることを、日本国民は目の当たりにして、その歴史的な意義、また天皇陛下という方が天皇陛下であるというあたりまえのことを、即ち日本の国を治めているのは天皇陛下であるということを、日常の生活感情の中で、当然のごとく理解することになる。

そうなれば、日本国民は、京都と東京と、天皇陛下と征夷大将軍と、公家と武士との二極で、日本の国が動いて来た事を思い出すだろう。この場合、日本国民がまづは思い出す一番遠い時代は、鎌倉時代である。源頼朝が征夷大将軍に任ぜられて始まった、武家の歴史を思い出すだろう。

勿論、神武天皇にまで遡れば、天皇陛下もまた軍馬の兵を指揮したことであろう。しかし、飛鳥、奈良、平安時代を閲して、鎌倉時代になって、武士の台頭の時代からの、その在り方を、日本国民は想起すれば、それで充分ではないだろうか。

何故ならば、そうなれば、今の国会議員のへなちょこ議員振りも、政治家の評価規準が国民的に定まるので、よくわかるだろう。あなたは武士かどうかというこの問いを試金石にして、わたしは武士ではない、もののふではないということを平気で口にするような議員がいれば、次の選挙で落選させればよいのである。こうして、政治家から道徳意識の改革をすることができる。困ったことは、女性の政治家も近頃は多いし、普通になっているということである。しかし、この場合、女性の政治家にもさむらいになってもらうか、薙刀をもってもらって、ご活躍を戴くということになるだろう。即ち、女性にとっても、ひとつの典型的な、公に奉仕する人間の像が活き活きと庶民の感情に蘇るであろう。

さて、また、陛下が京都の御所に遷都なさると、当然のことながら、新年の歌会始めは、京都の御所でひらかれることになり、この、京都の御所で天皇陛下が歌を詠まれるという事実だけで、日本国民は毎年、日本の国の歴史の長さを思い出し、天皇陛下は歴史的に勅撰和歌集の編者であったことを更に思い出し、日本の文化の特質と精神性に、国民は、安心の気持ちをいだくことになるだろう。

こうなってくると、それだけで、天皇陛下が日本中の神社を総帥する祭祀の主宰者、宰領者であることが、自然に日本国民の間で思い出され、共有されることであろう。何故新年になると毎年自分が神社にお参りして祈願をするのか、その日本の民のこころが、これも自然に天皇陛下と結びついて、庶民の生活感情の中に、天皇陛下が実感を以て、蘇ることだろう。

事実、ただ京都の御所に遷都なさるだけで、確かに天皇陛下はまつりごとをなさるその当の方であるということを、日本国民は思い出すであろう。ここに、祭政一致を非難する余地は全く無くなることが自明のこととなるのである。

また、天皇陛下とはいかなる存在であるかということが、誰の目にも、日本国民のみならず、海外の人間達の目にも明らかになるのだ。

最初の話に戻ると、大体歴史は70年で動く。何か新しいことを始めても、例えばソヴィエト連邦が瓦解したのが、ロシア革命後70年、ベルリンの壁の崩壊は、その象徴であった。支那共産党がその政権を樹立してから70年。もうそろそろ年貢の納め時である。その象徴は一体何であろうかと、支那の情勢、時勢を伺うことは楽しいことである。

日本の国の敗戦後の70年においても、然り。その象徴的な事件は、あの素晴らしい民主党政権が生まれたことである。これも、誠に愚かなる日本国民の素晴らしさの象徴であった。そして、また当の非ばかりであっために非の打ち所の無かったその素晴らしい政権の国家経営のただ中に、あの大震災、あの大地震と大津波が起こったということである。余りの犠牲の多さ、その尊い犠牲の多さに暗然たる思いをせずにはいられないが、しかし、他方、わたしは確かに天佑というものがあり、天の、宇宙の主宰者が日本国にはあることを確信したのである。

即ち、この大地震、大津波は、日本国民のこころに、尊王攘夷として働いたというのが、わたくしの密かな観察である。

この場合、尊王攘夷の攘夷、その夷荻とは何かと言えば、この21世紀における夷荻とは、今や共産主義的な思考そのものである。即ち、はい、この西暦何年何月何日を以て、新しい国ができましたというこのものの考え方そのものが、マルクス主義も含めて、共産主義の考えかたであるのだから、これが尊王攘夷の対象となるべき夷荻なのである。この共産主義的な国家の中のひとつは、勿論、アメリカ合衆国である。

さて、そうして、GHQの現行憲法を改正するなどということを言うのでは、余りに遅く、余りに愚かである。

天皇陛下が京都の御所にお遷りになっただけで、日本国民は、その正気を取り戻し、即ち日本の歴史の連続と、その連綿たることを想起して、同様に還るべき憲法は、明治天皇の発布された大日本帝国憲法であることを、自然の感情とともに、思い出すことであろう。

(そうして、日本人がみづからの手で日本国憲法を起草する素晴らしさは、日本人自身が日本語というみづからの言語の文法を思い出さずには、一行も書けないということにあるのだ。そうなれば、現代国語という名前の学校教育の虚妄も暴かれるであろう。)

憲法の論議をする前に、まづは、天皇陛下が京の御所にお帰りになることを、強く願うものである。天皇陛下が京の御所におかえりになれば、自然と、すべてが整うように、わたくしには思われる。集団的自衛権の議論も、現行憲法の改正の議論も、靖国神社参拝の問題も。

さて、そうすれば、今度は過去を向くだけではなく、未来を向くとどうなるかといえば、天皇陛下が京の都におかえりになるということは、この日本の国の100数十年の公武合体政策の放棄と終焉の、天皇陛下の意志を、国民のみならず、世界に対して発信することになり、また同時に、このことは、近代の国民国家、この白人種の中産階級が、植民地をつくり収奪の限りをつくしてきたこの資本主義という経済制度と、これと裏腹な関係にある民主主義というものについても、もはやこれを一方的に取り入れ倣うだけのことはもうやめるという日本人の意志を世界に発信することになるのだ。

(アジア、アフリカ、中近東、南アメリカの国々が、喜ぶことになるだろう。)

このようなことになれば、大東亜戦争敗戦後の歪な言論空間は崩壊し、自由な議論ができるようになり、あるべき日本の国の姿、あるべき政治制度、あるべき経済制度の話を、誰もが自由におおっぴらにすることができるようになるであろう。

即ち、日本人が自分の頭でものを考えることができるようになるのだ。

更に即ち、天皇陛下が京の御所におかえりになるということの意味は、このように考えて来ると、このように、あの大東亜戦争の敗北というマイナスをプラスに転じることができるということなのである。

戦後70年がたてば、隠れていたものごとが現れて、目に見える事象となるだろう。


さて、以上のことが実現すれば、これを第二次王政復古と呼ぶか、逆方向の王政復古と呼ぶか、逆遷都と呼ぶか、そのほか何と呼ぶか、もうそうなれば、それは枝葉末節のことだと思われる。しかし、やはり、王政復古という歴史的な言葉の意味は、深いのである。深いという意味は、ひとのこころに届くということである。

0 件のコメント:

コメントを投稿