言葉の眼が言つてゐる: ”自分の人生を生きるために、自分の言葉を持て”と。 そして、”あなたのこころの中には一冊の書物が眠つてゐる。”と。宇宙は一冊の書物。これを、どの順序で、どのように読み解くかは、あなた次第。それが、あなたの人生。全てはあなた次第である。
2015年7月29日水曜日
2015年7月6日月曜日
トーマス・マンの本が二冊ドイツより届く:深き源泉は個別言語を問わず
トーマス・マンの本が二冊ドイツより届く:深き源泉は個別言語を問わず
マンの『ある非政治的な人間の観察』と『ヨゼフと其の兄弟』(第1巻)が、ドイツの書店より到着。いと嬉しきものかは。
前者の目次は、そのまま今の此の21世紀に通用する目次となっている。
1。抵抗、抗議
2。非文学的な国(わが日本国のことにあらずや?)
3。文明の作家(Literat)
4。内省(デカルトならば、瞑想というところであらう)
5。市民であること
6。》正義と真理《
7。政治
8。徳目について
9。人間性に関する幾つかのこと
10。信仰について
11。審美的な政治(これはまづありえない矛盾であらう)
12。イロニー(逆説)と過激思想(安部公房のようである)
裏表紙に引用されているマンの目覚しき言葉:
「しかし、自己の探究とは、ほとんどの場合、既に変身への第一歩なのであり、自己を認識する(知る)ことによって、彼が彼であった其の彼のままでいることは、誰も全くないと、わたしは聞き知ったのであった。」
後者の開巻第一行もまた、目覚ましからむ。
Tief ist der Brunnen der Vergangenheit. Sollte man ihn nicht unergründlich nennen?
誠に深きことなり、過去の泉は。一体、この名を呼ぶのに、これを極め尽くさずして、泉と呼ぶことがゆるされてあろうか?
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