日本人幕の内弁当論
あるとき、日本人の思考と感性は、幕の内弁当に凝縮していると思ったことがある。それ以来、幕の内弁当は、日本人だという思いでおります。
何故ならば、幕の内弁当は、
1。色々な要素が、小さい箱(空間)の中に入っている。
2。その要素のひとつひとつが、小さく、美しい。
3。そのすべての要素の全体が均衡(バランス)よくまとめられている。全体として美しい。
ということになるだろう。
これらの特徴、特色を、日本人の世界に適用して、そのよく似たものを考えると、まづわたしは、美意識の発達した、日本語の藝術の世界では、次のふたつの藝術を連想します。
1。俳諧
2。茶道
これらは、藝術であると同時に、やはり茶道という名前に道がついているように、道というものなのだと思う。
従い、実は幕の内弁当は、日本人の美意識に裏打ちされた道というものが、日常の、それも食事という世界に現れた小宇宙なのだ。
茶道は、その名前から道であることは、おわかりと思う。
これに対して、俳諧は、17世紀の前半に、松尾芭蕉が完成した藝術であるが、芭蕉は、『奥の細道』という紀行文を書いています。この題名の意味するところは、言葉の藝術家である芭蕉らしく、ひとつは、奥州という奥の字のつく土地へ、またその土地の奥へ行くという意味であり、もうひとつの意味は、物事の奥、即ち宇宙の本質へと行く、細きこの一筋の道という意味でもあるのだと思う。
このふたつの藝道は、室町時代に生まれた。俳諧のもとは、連歌であって、ここから俳諧が生まれたのだ。茶道については、日本の歴史の教える通りである。村田珠光というひとが、今の茶会の最初のものを創始した。
完成した時期は、俳諧は、芭蕉の生きた元禄の江戸、17世紀の後半、茶道は、安土桃山時代の千利休の生きた16世紀の後半ということになる。
まづ、俳諧という文藝を調べて、それから、茶道に言及しようと思います。そうすると、わたしが日本人は幕の内弁当であるという説の真意もご理解戴けると思います。
俳諧という藝術は、複数の参加者で歌仙を巻くという文藝です。歌仙とは、平安時代の歌人、36歌仙にならった呼名で、この俳諧の形式は、懐紙に書き取ることを前提に、懐紙の第1枚目(初折といいます)に表6句裏12句の計18句、懐紙の第2枚目(名残の折といいます)に名残の表12句名残の裏6句の計18句、併せて36の句をつくるのです。36歌仙の数にならった36句を創作するわけです。この形式を、芭蕉が完成させたのです。
芭蕉がお弟子さんたちと一緒に詠んだ俳諧集を詠みますと、次のようなことが解ります。
1。参加者(連衆といいます)は、白氏文集などの漢籍を読み、源氏物語や和歌集を読むなどして、共有する古典の深い知識を持っていること。
2。このことに関係がありますが、言葉を圧縮して1句に抽象化する高度な能力を有すること
3。お弟子さんには、今でいうならば株式会社の取締役にあたる大店の番頭さんや、医者や、武家から、下は路通という乞食同然の者に至るまで、多種多様であり、俳諧という世界は垂直的な階層構造では全然なく、人間は全く自由で、横に平面上に並んで、平等の世界であったということ。
4。しかし、他方、俳諧の形式を遵守し、大切にしたこと。この形式を共有するということが、その自由と平等を保証していたということ。
5。俳諧の世界は、言葉の遊戯の世界であること。
俳諧の場の構成は、宗匠、執筆(しゅひつ、とも、ゆうひつ、とも呼んでいます)、それから連衆という3つの立ち場と役割からなっています。
宗匠は、一座の句を読むことの運行を司り、差配、采配をするひと。執筆は、文台に懐紙をおいて、詠まれる俳句を書き取り、また同時に俳諧の細かな規則の遵守に注意を払い、宗匠に助言をするひと、連衆は勿論専一に俳句を詠むひとです。宗匠も執筆一緒に俳句を詠みます。
もう少し、俳諧の話をします。
最初の句は発句といいます。正岡子規が明治になってこれを独立させて、今の個人の藝術としての俳句と呼ばれるものなっています。
この発句に、第2の句が付けられ、これを脇句といい、更にこの脇句に第3の句(第三という)がつけら、第4、第5というように、最後の挙げ句で万尾(終り)となります。
この間、句の形式は、最初の句は、5•7•5(長句といいます)、次の句は、7•7(短句といいます)と、この2種類の句を都合36回繰返すわけです。前の句を前句、後の句を付け句といいます。
この芭蕉の完成させた蕉風の俳諧を守って21世紀の今に伝える猫蓑会という結社があって(猫蓑という名前は、芭蕉の有名な俳諧集のひとつ『猿蓑』のもじりです)、その結社をおつくりになった東明雅先生の『連句入門 芭蕉の俳諧に即して』(中公新書)を参照して、俳諧の面白さ、楽しさをお伝えしたいと思います。わたしは、この本は名著だと思います。
俳諧の面白さは、これはわたしの言葉ですが、二句一想、二句一場の創出にあります。『猿蓑』の「鳶の羽も」の巻から、次のように引用しましょう。
(A) おもひ切りたる死ぐるひ見よ 史邦(ふみくに)
(B) 青天に有明月の朝ぼらけ 去来
この(A)と(B)で歌われたのは、「決死の覚悟で朝駈けをする勇士の凛々しい姿とその清爽な心境である。(A)と(B)とは互いに相映発して、一つのすがすがしい気分の世界を作り出している。」
ところが、今度は、次の詠み手は、この(B)の句を前句として、これに句を付けるわけですが、次の様な(C)の句を付けるのです。
(B) 青天に有明月の朝ぼらけ 去来
(C) 湖水の秋の比良のはつ霜 芭蕉
明雅先生の言葉を拝借しますと、「ここにはもう戦場もない。決死の勇士も関係がない。ただあるのは、有明の月の下にひろがる雄大な湖水の眺望であり、比良の連峰に見ゆる初霜の白さである。これも完璧な詩の世界であろう。(A)と(B)とで作られた激しい闘争の世界から一転して、晩秋の湖の清澄な世界へと変えられている。これが三句の転じというもので、要するに、中の一句(ここでは(B)をはさんで、双方の句((A)と(C))が互いに変化のあるように作ることをいうのである。俳諧の述語では、この(A)と(C)との関係を打越というが、この打越が同意•同趣であることを極端に嫌うのである。
芭蕉が「歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし」(『三冊子』)と言っているように、俳諧は発句(最初の句)から挙げ句(最終の句)へと、ただ前へ前へと進んで変化していかなければならない。」
これが俳諧です。
この世界は、次の様なことを思ってみると、幕の内弁当によく似ていないでしょうか?
1。複数の様々な職種、身分の人間が参加できること。
2。どの人間もこの世界では自由であり、平等に、それぞれの役回りを演ずること。
3。その世界が風雅であり、また同時に美しいこと。
4。ひとつの形式(約束事)を守って、全体がバランスよく、また美しいこと。
5。36歌仙というように、歴史(平安時代からの)を大切にしていること。
6。二句一想、二句一場であるように、様々な想、様々な場がそこに互いに関係づけられ包摂されていて矛盾なく、調和していること。
7。平安時代の和歌、室町時代の連歌の歴史を引き継ぎ、これらを総合した藝術であること。
8。遊戯であること。嬉遊であること。
さて、茶道という藝術は、どのような藝術でしょうか。
1。茶室と呼ばれる小さな空間に、複数のひとが集う。
2。この小さな茶室そのものが、一個の藝術作品であり、美くしい。
3。その美的空間の中で作法に則った喫茶が行われる。
4。茶室の中には、掛軸、茶釜、茶筅、袱紗等々の、工藝品が飾られ、また使われる。これらの要素から茶室の内部はなっている。
5。この美的空間の内部にあっては、guestであり客である大名も商人も身分差はなく、hostである亭主の前では平等であるということ。あるいは、亭主も含めてみな身分の差はないということ。
6。それまでの日本の歴史の中にある諸要素の総合した藝道であること。曰く、建築、喫茶、道具類という工藝品。
7。遊戯であること。嬉遊の場であること。
この世界もまた、幕の内弁当によく似ていないでありませうか。今ネット上にある幕の内弁当の写真から、一番欲張った幕の内弁当と思われるものを引用します。
この小さな空間に、
1。ご飯(紫蘇がかかっている)
2。枝豆
3。焼き鮭
4。焼売
5。蒲鉾(美しい)
6。苺(果物である)
7。マヨネーズ(?)
8。揚げ物(魚であろうか?)
9。8の揚げ物の下にもうひとつ何かが隠れている。
10。ハンバーグ(茸のソースがかかっている)
11。人参(野菜である)
12。胡瓜
13。タクアン
14。蟹の鋏の部分の揚げ物(海のもの)
15。鶏肉の揚げ物
16。ウィンナーソーセージ(?)
17。レモンの輪切り
といったものが収まっている。
どれも一品一品手をかけていることがわかります。その上で、各部にわけ、その各部の分かたれた空間も大きさは異なり、それぞれに応じて素材を配している。或いは、このような幕の内弁当も、あります。これは、これで充分に鑑賞に堪える弁当です。
鑑賞に堪える弁当などというものが、世界中にあるでしょうか?そんな発想は、日本人にしか生まれないのではないでしょうか?
幕の内弁当という弁当は、小さな限られた空間に、諸要素を調和よく配置し、そして美しさを充分に意識してつくられるということ、これが、わたしは日本人の美意識の発露の、料理の領域での工藝品のひとつだと思う理由なのです。この幕の内弁当の空間も、遊戯の、嬉遊の、遊びの空間だと言って、言う事ができると思います。
この場合のhost、主は、やはりご飯でしょうか。そうして、guests、即ちおかずの要素が適切に配置されている。やはり、こう考えても、俳諧や茶道の世界に全くよく似ております。ヨーロッパ人ならば、この主客の関係を、subject―objectの関係ということでしょう。しかし、白人種のこのアングロサクソンのsubject―objectは、主従の関係であり、支配•被支配の垂直関係であり垂直構造なのです。これは絶対的に固定されていて、動かない。ここが、主語を敢えて文字に表すことなく、そのコンテクストを共有することのできる日本語と日本人の意識の素晴らしさだと、わたしは思います。同じコンテクストを共有するこころがあれば、その場所(座)にいるひとたち、ものたちは、身分の差なく、その出自なく、海のものであれ陸のものであれ、みな自由であり、平等なのです。
このように言葉を連ねて参りますと、華道もまた、同様に幕の内弁当であることを思い出します。あのお花もまた、小さな美しい花瓶の空間にいけられた、様々な種類と出自のお花が、全体のバランスをとって現れる、日本人の美意識に裏打ちされた遊びの空間、それも四季折々に花材も応じて変化する空間的な造形だということができるでしょう。
また、盆栽もまた、幕の内弁当の世界から生まれた藝術、庶民の藝術だと思います。
さて、アラブの世界もそうですが、miniturizeする(例えばアラビアの細密画)、細密化するということは、その文明の高度であることを示していることの一つだと、わたしは考えます。小さくすること。戦前のドイツのシャンソン(ベルリンのような大都会のキャバレーで歌われたドイツ語の歌のひとつ)に、日本人を歌ったものがあって、日本人は何でも小さくする(klein)というリフレインで歌われたシャンソンの歌詞を読んだことがあります。
日本人の生活の中にあるそのような小さなものの名前を列挙すれば、自ずと、わたしたちの特性が明らかになるでしょう。