2014年5月12日月曜日

日本人幕の内弁当論


日本人幕の内弁当論

あるとき、日本人の思考と感性は、幕の内弁当に凝縮していると思ったことがある。それ以来、幕の内弁当は、日本人だという思いでおります。

何故ならば、幕の内弁当は、

1。色々な要素が、小さい箱(空間)の中に入っている。
2。その要素のひとつひとつが、小さく、美しい。
3。そのすべての要素の全体が均衡(バランス)よくまとめられている。全体として美しい。

ということになるだろう。

これらの特徴、特色を、日本人の世界に適用して、そのよく似たものを考えると、まづわたしは、美意識の発達した、日本語の藝術の世界では、次のふたつの藝術を連想します。

1。俳諧
2。茶道

これらは、藝術であると同時に、やはり茶道という名前に道がついているように、道というものなのだと思う。

従い、実は幕の内弁当は、日本人の美意識に裏打ちされた道というものが、日常の、それも食事という世界に現れた小宇宙なのだ。

茶道は、その名前から道であることは、おわかりと思う。

これに対して、俳諧は、17世紀の前半に、松尾芭蕉が完成した藝術であるが、芭蕉は、『奥の細道』という紀行文を書いています。この題名の意味するところは、言葉の藝術家である芭蕉らしく、ひとつは、奥州という奥の字のつく土地へ、またその土地の奥へ行くという意味であり、もうひとつの意味は、物事の奥、即ち宇宙の本質へと行く、細きこの一筋の道という意味でもあるのだと思う。

このふたつの藝道は、室町時代に生まれた。俳諧のもとは、連歌であって、ここから俳諧が生まれたのだ。茶道については、日本の歴史の教える通りである。村田珠光というひとが、今の茶会の最初のものを創始した。

完成した時期は、俳諧は、芭蕉の生きた元禄の江戸、17世紀の後半、茶道は、安土桃山時代の千利休の生きた16世紀の後半ということになる。

まづ、俳諧という文藝を調べて、それから、茶道に言及しようと思います。そうすると、わたしが日本人は幕の内弁当であるという説の真意もご理解戴けると思います。

俳諧という藝術は、複数の参加者で歌仙を巻くという文藝です。歌仙とは、平安時代の歌人、36歌仙にならった呼名で、この俳諧の形式は、懐紙に書き取ることを前提に、懐紙の第1枚目(初折といいます)に表6句裏12句の計18句、懐紙の第2枚目(名残の折といいます)に名残の表12句名残の裏6句の計18句、併せて36の句をつくるのです。36歌仙の数にならった36句を創作するわけです。この形式を、芭蕉が完成させたのです。

芭蕉がお弟子さんたちと一緒に詠んだ俳諧集を詠みますと、次のようなことが解ります。

1。参加者(連衆といいます)は、白氏文集などの漢籍を読み、源氏物語や和歌集を読むなどして、共有する古典の深い知識を持っていること。
2。このことに関係がありますが、言葉を圧縮して1句に抽象化する高度な能力を有すること
3。お弟子さんには、今でいうならば株式会社の取締役にあたる大店の番頭さんや、医者や、武家から、下は路通という乞食同然の者に至るまで、多種多様であり、俳諧という世界は垂直的な階層構造では全然なく、人間は全く自由で、横に平面上に並んで、平等の世界であったということ。
4。しかし、他方、俳諧の形式を遵守し、大切にしたこと。この形式を共有するということが、その自由と平等を保証していたということ。
5。俳諧の世界は、言葉の遊戯の世界であること。

俳諧の場の構成は、宗匠、執筆(しゅひつ、とも、ゆうひつ、とも呼んでいます)、それから連衆という3つの立ち場と役割からなっています。

宗匠は、一座の句を読むことの運行を司り、差配、采配をするひと。執筆は、文台に懐紙をおいて、詠まれる俳句を書き取り、また同時に俳諧の細かな規則の遵守に注意を払い、宗匠に助言をするひと、連衆は勿論専一に俳句を詠むひとです。宗匠も執筆一緒に俳句を詠みます。

もう少し、俳諧の話をします。

最初の句は発句といいます。正岡子規が明治になってこれを独立させて、今の個人の藝術としての俳句と呼ばれるものなっています。

この発句に、第2の句が付けられ、これを脇句といい、更にこの脇句に第3の句(第三という)がつけら、第4、第5というように、最後の挙げ句で万尾(終り)となります。

この間、句の形式は、最初の句は、5•7•5(長句といいます)、次の句は、7•7(短句といいます)と、この2種類の句を都合36回繰返すわけです。前の句を前句、後の句を付け句といいます。

この芭蕉の完成させた蕉風の俳諧を守って21世紀の今に伝える猫蓑会という結社があって(猫蓑という名前は、芭蕉の有名な俳諧集のひとつ『猿蓑』のもじりです)、その結社をおつくりになった東明雅先生の『連句入門 芭蕉の俳諧に即して』(中公新書)を参照して、俳諧の面白さ、楽しさをお伝えしたいと思います。わたしは、この本は名著だと思います。

俳諧の面白さは、これはわたしの言葉ですが、二句一想、二句一場の創出にあります。『猿蓑』の「鳶の羽も」の巻から、次のように引用しましょう。

(A) おもひ切りたる死ぐるひ見よ 史邦(ふみくに)
(B) 青天に有明月の朝ぼらけ   去来

この(A)と(B)で歌われたのは、「決死の覚悟で朝駈けをする勇士の凛々しい姿とその清爽な心境である。(A)と(B)とは互いに相映発して、一つのすがすがしい気分の世界を作り出している。」

ところが、今度は、次の詠み手は、この(B)の句を前句として、これに句を付けるわけですが、次の様な(C)の句を付けるのです。

(B) 青天に有明月の朝ぼらけ   去来
(C) 湖水の秋の比良のはつ霜   芭蕉

明雅先生の言葉を拝借しますと、「ここにはもう戦場もない。決死の勇士も関係がない。ただあるのは、有明の月の下にひろがる雄大な湖水の眺望であり、比良の連峰に見ゆる初霜の白さである。これも完璧な詩の世界であろう。(A)と(B)とで作られた激しい闘争の世界から一転して、晩秋の湖の清澄な世界へと変えられている。これが三句の転じというもので、要するに、中の一句(ここでは(B)をはさんで、双方の句((A)と(C))が互いに変化のあるように作ることをいうのである。俳諧の述語では、この(A)と(C)との関係を打越というが、この打越が同意•同趣であることを極端に嫌うのである。
 芭蕉が「歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし」(『三冊子』)と言っているように、俳諧は発句(最初の句)から挙げ句(最終の句)へと、ただ前へ前へと進んで変化していかなければならない。」

これが俳諧です。

この世界は、次の様なことを思ってみると、幕の内弁当によく似ていないでしょうか?

1。複数の様々な職種、身分の人間が参加できること。
2。どの人間もこの世界では自由であり、平等に、それぞれの役回りを演ずること。
3。その世界が風雅であり、また同時に美しいこと。
4。ひとつの形式(約束事)を守って、全体がバランスよく、また美しいこと。
5。36歌仙というように、歴史(平安時代からの)を大切にしていること。
6。二句一想、二句一場であるように、様々な想、様々な場がそこに互いに関係づけられ包摂されていて矛盾なく、調和していること。
7。平安時代の和歌、室町時代の連歌の歴史を引き継ぎ、これらを総合した藝術であること。
8。遊戯であること。嬉遊であること。

さて、茶道という藝術は、どのような藝術でしょうか。

1。茶室と呼ばれる小さな空間に、複数のひとが集う。
2。この小さな茶室そのものが、一個の藝術作品であり、美くしい。
3。その美的空間の中で作法に則った喫茶が行われる。
4。茶室の中には、掛軸、茶釜、茶筅、袱紗等々の、工藝品が飾られ、また使われる。これらの要素から茶室の内部はなっている。
5。この美的空間の内部にあっては、guestであり客である大名も商人も身分差はなく、hostである亭主の前では平等であるということ。あるいは、亭主も含めてみな身分の差はないということ。
6。それまでの日本の歴史の中にある諸要素の総合した藝道であること。曰く、建築、喫茶、道具類という工藝品。
7。遊戯であること。嬉遊の場であること。

この世界もまた、幕の内弁当によく似ていないでありませうか。今ネット上にある幕の内弁当の写真から、一番欲張った幕の内弁当と思われるものを引用します。





この小さな空間に、

1。ご飯(紫蘇がかかっている)
2。枝豆
3。焼き鮭
4。焼売
5。蒲鉾(美しい)
6。苺(果物である)
7。マヨネーズ(?)
8。揚げ物(魚であろうか?)
9。8の揚げ物の下にもうひとつ何かが隠れている。
10。ハンバーグ(茸のソースがかかっている)
11。人参(野菜である)
12。胡瓜
13。タクアン
14。蟹の鋏の部分の揚げ物(海のもの)
15。鶏肉の揚げ物
16。ウィンナーソーセージ(?)
17。レモンの輪切り

といったものが収まっている。

どれも一品一品手をかけていることがわかります。その上で、各部にわけ、その各部の分かたれた空間も大きさは異なり、それぞれに応じて素材を配している。或いは、このような幕の内弁当も、あります。これは、これで充分に鑑賞に堪える弁当です。

鑑賞に堪える弁当などというものが、世界中にあるでしょうか?そんな発想は、日本人にしか生まれないのではないでしょうか?




幕の内弁当という弁当は、小さな限られた空間に、諸要素を調和よく配置し、そして美しさを充分に意識してつくられるということ、これが、わたしは日本人の美意識の発露の、料理の領域での工藝品のひとつだと思う理由なのです。この幕の内弁当の空間も、遊戯の、嬉遊の、遊びの空間だと言って、言う事ができると思います。

この場合のhost、主は、やはりご飯でしょうか。そうして、guests、即ちおかずの要素が適切に配置されている。やはり、こう考えても、俳諧や茶道の世界に全くよく似ております。ヨーロッパ人ならば、この主客の関係を、subject―objectの関係ということでしょう。しかし、白人種のこのアングロサクソンのsubject―objectは、主従の関係であり、支配•被支配の垂直関係であり垂直構造なのです。これは絶対的に固定されていて、動かない。ここが、主語を敢えて文字に表すことなく、そのコンテクストを共有することのできる日本語と日本人の意識の素晴らしさだと、わたしは思います。同じコンテクストを共有するこころがあれば、その場所(座)にいるひとたち、ものたちは、身分の差なく、その出自なく、海のものであれ陸のものであれ、みな自由であり、平等なのです。

このように言葉を連ねて参りますと、華道もまた、同様に幕の内弁当であることを思い出します。あのお花もまた、小さな美しい花瓶の空間にいけられた、様々な種類と出自のお花が、全体のバランスをとって現れる、日本人の美意識に裏打ちされた遊びの空間、それも四季折々に花材も応じて変化する空間的な造形だということができるでしょう。

また、盆栽もまた、幕の内弁当の世界から生まれた藝術、庶民の藝術だと思います。

さて、アラブの世界もそうですが、miniturizeする(例えばアラビアの細密画)、細密化するということは、その文明の高度であることを示していることの一つだと、わたしは考えます。小さくすること。戦前のドイツのシャンソン(ベルリンのような大都会のキャバレーで歌われたドイツ語の歌のひとつ)に、日本人を歌ったものがあって、日本人は何でも小さくする(klein)というリフレインで歌われたシャンソンの歌詞を読んだことがあります。

日本人の生活の中にあるそのような小さなものの名前を列挙すれば、自ずと、わたしたちの特性が明らかになるでしょう。


補足:このわたしの日本人幕の内弁当論と同じ考えを、工業デザイナーの栄久庵憲司さんという方が論じています。わたしはこの著作は未見ですが、御興味のある方は、お買い求め下さい:http://www.amazon.co.jp/幕の内弁当の美学―日本的発想の原点-朝日文庫-栄久庵-憲司/dp/402264222X/ref=sr_1_5?ie=UTF8&qid=1399900399&sr=8-5&keywords=栄久庵憲司

2014年5月10日土曜日

我が友、西村幸祐へ:アメリカとは何か?(アメリカ論)


2014/05/07


西村へ、

貴君の「アメリカの夢は終ったのか?」というアメリカ論(「撃論ムック(22)・アメリカとは何か」所収。平成22年10月22日発行号)、拝読しました。いい論でした。

貴君のアメリカ論に触発されて、以下のようなことを考えましたので、お伝えしたいと思い、筆を執りました。

僕が西村に、あの2011年3月11日の大震災の直後に、あの大地震と大津波は、日本人には尊王攘夷という作用を及ぼしたのだと書いて、送ったことを覚えていますか?

同じように、2001年の9月11日は、アメリカという国とアメリカ人にとっては、どのような作用を及ぼしたのかと問い、考えることは、日本とアメリカの関係を考える上では、大変意義も意味もあることだと思います。

他方、西村よ(と、こう呼びかけるとまた貴君にあって直接話しをしたいという衝動にかられます)、実は最近英語とドイツ語でマルクスとエンゲルスの書いた『共産党宣言』をキンドルでダウンロードして読んだのですが、これを読んで、今このアメリカ論との文脈でいうならば、これはやはりキリスト教の延長であって、即ち終末思想と方舟思想の宣言文(Manifesto)だと思いました。

即ち、この近代の白人種の国家を担って来た富裕なビジネスマン(商人)の中産階級は間違いなく滅びるから(その歴史的な根拠は全く示されていない。何しろ歴史を拒絶するという考え方で、その言葉が終始一貫書かれているのだから)、いづれこの資本主義という世は滅びる、だからプロレタリアートが団結してノアの方舟をつくって(というよりも、その船はもう、あんたが自分をプロレタリアートだと呼べば、乗船の資格が賦与されるのだと言っているように聞こえる。しかし、一体だれがその資格を賦与するのだ?それには、答えていないのである。それを歴史の、根拠の無い予想(馬券の予想の方がまだあたるだろう))、今こそ乗船すべきときなのだと、このマニフェストを出して、煽動しているのである。

アメリカという国は、近代ヨーロッパの、即ちイギリスとフランスとドイツの国の、そうしてそこでは住めなかった異端の人間たちの、言わばそれらの国では、言い過ぎかもしれないが、犯罪者であるような人間達のつくった国である。そういう意味では、オーストラリアは、白人近代国家から排除され、強制的に遠島の刑を受けた犯罪者そのものの国である。そうして、原住民(というべきか?)を虐殺した。これも、アメリカにそっくりである。

さて、何を言いたいか。アメリカという建国の仕方は、ヨーロッパ世界の歴史とその在り方に絶縁を宣言して、しかもインディアンの大量虐殺の上に、それから黒人をアフリカから攫(さら)って来て、そしてその奴隷貿易で生んだ富を築き、そうして、それらの事実を全く忘れるようにして出来上がった国であるということが、その国の国の姿を表していると思うのだ。

即ち、それは共産党宣言にあるように、はい、西暦何年何月にこの新しい国ができたのです、それ以前には歴史はありません、なぜならこの国家の成立の仕方が、それを赦し(或いは許すという文字で書くか?)たまふからである。と宣言した国家であるからだ。

という、この一点において、わたしの考えでは、アメリカという国家は、そもそも共産主義的な国家なのである。これは、資本主義と民主主義の鬼子である。上の(前の)段落が、そのイデオロギーの本質(空無の)である。

即ち、一体だれがその国家の成立をゆるすというのか?同じ問いを問うと、共産党とその国々もアメリカも回答はできないし、沈黙をまもり、無視するのだ。その理由は、自国の存在するその歴史を直視し、正視することができないからだ。何故なら、そこには犯罪というべき残酷な歴史的な事実があるからだ。自国の歴史を直視、正視できないということ。これが論理的な、共産主義国家の特徴的帰結のひとつである。従い、そうして、(内側にではなく)外側に向って、膨張的な侵略を開始するのだ。実体はなく(無という言葉を使うことさへためらはれるよ、西村、この尊い言葉を)、これを、わたしは貴君の読んでくれたブログ(http://abekobosplace.blogspot.jp/2014/05/blog-post_6185.html
)で、アメリカを贋物の国と呼び、数々のアメリカの作った贋物の名前をあげたのである。今この文章を書いている時点で、ここに書いた考えは一層深まり、アメリカ人が何故ジーンズを発明し、アメリカ人がはき、また全世界に広まったのか、その理由をいうことができる。これはまた貴君に会ったときに話したいと思う。

この贋物性を白日の下にさらすということは、戦後の日本人の目を覚まさせる力があるだろう。(貴君のアメリカ論に、それは間違いなく現れることだろう。アメリカのいう民主主義が贋物であり、即ち共産主義であるとは!更に即ち、共産主義とは、イデオロギーを信じたふりをする、従い自分の慾にあかせまかせて道徳のない特権階級と、対照的な苦しむ貧しい民とに分極するということであるとは!)

さて、9.11はどうであったか。

あの金融の中心地のふたつの塔に飛行機で突入し、それを破壊したということは、アラブの人間のこころを示していると思う。アメリカよ、滅びよ、ということである。この資本主義、海外に植民地をつくり、あらゆるその地域と国の富を強奪し、収奪し、ただただ白人種が富めばよいという考えでそれ以外の国と民を苦しめて来た、その国よ、滅びよということである。

この主張は正しいのではないか?もし、あの事件をそのように解釈するならば。

即ち、アメリカ人は、独立をした18世紀の後半の独立戦争以来、久し振りで、自国の領土(これもインディアンから奪い取った領土であるが)で、外敵に直面したのである。それは、今回は、同じなじみの白人種ではなかったということが大いに違い、アラブの、中近東の、アメリカよりも優れた、歴史も長く深い豊かな文明圏からの宣戦布告であり、その被害であると言っても、全く異質の者からの攻撃である。これは、おい、お前達イギリスやフランスの収奪した地域ではないか、お前達が責任をとってくれというのが、言葉にならないアメリカ人の言葉だと思われる。そうやって、外交は動くであろう。但し、アメリカの経済が資本主義を使って、うまく行く限りは。

あの9.11の一撃は、アメリカという贋の国家からも、その経済的な、ということは従い、政治的な実体(と思っていた贋の姿)を崩壊させたのである。

それ故に、リーマンショックも、当然のことであるのだ。アメリカ人の思考が、衰弱しているのだから。それが、このアメリカ人の現実の姿だと思う。金融工学と呼ぶ、その錬金術の理論が成立するためには、哲学がなければならない。しかし、アメリカに哲学はないのだ。プラグマチズムがあるのだ。これは、哲学ではない。前者は、それは何かという問いに答えて生まれる体系であるが、後者はどのようにという問いに答えるだけであるからだ。わたしには、そのように思われる。

さて、そこで、どこにその弱気は逃げ込むか?

1。ディズニーランド、即ち自分自身の贋物の世界へ
2。ヨーロッパの歴史の中へ、自分の源流を尋ねて(そういえば、以前、黒人の作家の著した、Rootsというnon-fictionがはやったよなあ。それは、白人種の自分自身の求めるものであったなあ。Negative mirrorという意味で。否定的な鏡としての黒人という意味で。白人が自分の姿をみるための。といえば、これは、何故アメリカ人がジャズを受け容れたかということの説明になるなあ。その鏡に映る黒いみずからの(罪の、贖罪の)姿を決して肯定し、その歴史と現実を直視し、正視することができず、忘却して、この人間の深い深い(忘却という)原理的な世界に埋没し、われをもひとをも忘れて、神聖な世界、the holynessを恢復しようというのである。これが、アメリカ人の白人であり、アメリカ人である。)

オバマという大統領も、こうして、日本人に原爆を落として大量に虐殺をしたという罪のつぐないを、しているのだ。即ち、それを悔いるのではなく、忘却することによって、ある神聖性を呼び込むためにである。これは、ある種の詐欺である。Fraud。自分自身に対する詐欺である。天皇陛下に額ずくオバマを信用してはならないのだ。

だから、阿呆な、日本の左翼という、アメリカの育てた気違いどもと同じことをいう大統領がアメリカに生まれたのだ。原爆を否定し、それで、ノーベル賞をもらって、何になろう。日本の第9条をノーベル賞にしようなどという愚かな、近頃の発想と全く同じ、オバマの発想である。アメリカという国家が日本に落とした原爆に、その因果が報いて、アメリカのその大統領の仇(あだ)になったということだと思うが、どうだろうか。

もうノーベル賞は終りにしたらよいとおもう。霊峰富士山を世界遺産にするなどという愚かなこともやめにすべきであった。愚かな日本人よ。と、わたしはそう思うのである。白人種にそんなに認められたいのか?もうそんな時代ではないだろう。それが、あの3.11であり、9.11であらうと、そう思うのだ。

いや、うまく言えないので、うまく伝わったかどうか。

貴君のアメリカ論を読んで、まだまだ話すべきことが沢山、こころの中から湧いて出て来るのだ。あの国立の夜々、朝まで貴君の部屋で言葉を交わしたことなどが。右翼も左翼もない、混沌とした素晴らしい、今の時代である。

先日、これも貴君にはメールで、大震災のあと話をした、天皇陛下は京都の御所にお遷へりになるがいいという論を、ある場所で発表したら、大きな共感を呼び起こしました。以下に、そのレジュメのURLを、わたしの真意を貼付するので、これもお読み下さると嬉しい(第二次王政復古を唱ふ:http://word-eyes.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html)。貴君と話すと話がつきないよ、西村よ。

では、また、

貴君のご活躍を祈る。


岩田

第二次王政復古を唱ふ


天皇陛下と第二次王政復古について


天皇陛下が公武合体政策を廃し、わたしは京都の御所に戻ると宣言し、実際にさうなさることが、よい。

これが、わたくしの意見です。

これは、言うなれば、第二次王政復古である。公武合体政策は、この100数十年で、もっと言えば、大東亜戦争で日本の国が敗戦したときに、その戦略的な使命と役割は終えたのである。近代日本の一個の戦略の長さとしては、十分な時間において有効であったと、わたしは思う。

当然、新たな首都は、1000年の歴史を有する京都になる。そうなれば、征夷大将軍の末裔、武士の末である筈の内閣総理大臣が、京都へ参り、宮中に参内して、その位を賜ることを、日本国民は目の当たりにして、その歴史的な意義、また天皇陛下という方が天皇陛下であるというあたりまえのことを、即ち日本の国を治めているのは天皇陛下であるということを、日常の生活感情の中で、当然のごとく理解することになる。

そうなれば、日本国民は、京都と東京と、天皇陛下と征夷大将軍と、公家と武士との二極で、日本の国が動いて来た事を思い出すだろう。この場合、日本国民がまづは思い出す一番遠い時代は、鎌倉時代である。源頼朝が征夷大将軍に任ぜられて始まった、武家の歴史を思い出すだろう。

勿論、神武天皇にまで遡れば、天皇陛下もまた軍馬の兵を指揮したことであろう。しかし、飛鳥、奈良、平安時代を閲して、鎌倉時代になって、武士の台頭の時代からの、その在り方を、日本国民は想起すれば、それで充分ではないだろうか。

何故ならば、そうなれば、今の国会議員のへなちょこ議員振りも、政治家の評価規準が国民的に定まるので、よくわかるだろう。あなたは武士かどうかというこの問いを試金石にして、わたしは武士ではない、もののふではないということを平気で口にするような議員がいれば、次の選挙で落選させればよいのである。こうして、政治家から道徳意識の改革をすることができる。困ったことは、女性の政治家も近頃は多いし、普通になっているということである。しかし、この場合、女性の政治家にもさむらいになってもらうか、薙刀をもってもらって、ご活躍を戴くということになるだろう。即ち、女性にとっても、ひとつの典型的な、公に奉仕する人間の像が活き活きと庶民の感情に蘇るであろう。

さて、また、陛下が京都の御所に遷都なさると、当然のことながら、新年の歌会始めは、京都の御所でひらかれることになり、この、京都の御所で天皇陛下が歌を詠まれるという事実だけで、日本国民は毎年、日本の国の歴史の長さを思い出し、天皇陛下は歴史的に勅撰和歌集の編者であったことを更に思い出し、日本の文化の特質と精神性に、国民は、安心の気持ちをいだくことになるだろう。

こうなってくると、それだけで、天皇陛下が日本中の神社を総帥する祭祀の主宰者、宰領者であることが、自然に日本国民の間で思い出され、共有されることであろう。何故新年になると毎年自分が神社にお参りして祈願をするのか、その日本の民のこころが、これも自然に天皇陛下と結びついて、庶民の生活感情の中に、天皇陛下が実感を以て、蘇ることだろう。

事実、ただ京都の御所に遷都なさるだけで、確かに天皇陛下はまつりごとをなさるその当の方であるということを、日本国民は思い出すであろう。ここに、祭政一致を非難する余地は全く無くなることが自明のこととなるのである。

また、天皇陛下とはいかなる存在であるかということが、誰の目にも、日本国民のみならず、海外の人間達の目にも明らかになるのだ。

最初の話に戻ると、大体歴史は70年で動く。何か新しいことを始めても、例えばソヴィエト連邦が瓦解したのが、ロシア革命後70年、ベルリンの壁の崩壊は、その象徴であった。支那共産党がその政権を樹立してから70年。もうそろそろ年貢の納め時である。その象徴は一体何であろうかと、支那の情勢、時勢を伺うことは楽しいことである。

日本の国の敗戦後の70年においても、然り。その象徴的な事件は、あの素晴らしい民主党政権が生まれたことである。これも、誠に愚かなる日本国民の素晴らしさの象徴であった。そして、また当の非ばかりであっために非の打ち所の無かったその素晴らしい政権の国家経営のただ中に、あの大震災、あの大地震と大津波が起こったということである。余りの犠牲の多さ、その尊い犠牲の多さに暗然たる思いをせずにはいられないが、しかし、他方、わたしは確かに天佑というものがあり、天の、宇宙の主宰者が日本国にはあることを確信したのである。

即ち、この大地震、大津波は、日本国民のこころに、尊王攘夷として働いたというのが、わたくしの密かな観察である。

この場合、尊王攘夷の攘夷、その夷荻とは何かと言えば、この21世紀における夷荻とは、今や共産主義的な思考そのものである。即ち、はい、この西暦何年何月何日を以て、新しい国ができましたというこのものの考え方そのものが、マルクス主義も含めて、共産主義の考えかたであるのだから、これが尊王攘夷の対象となるべき夷荻なのである。この共産主義的な国家の中のひとつは、勿論、アメリカ合衆国である。

さて、そうして、GHQの現行憲法を改正するなどということを言うのでは、余りに遅く、余りに愚かである。

天皇陛下が京都の御所にお遷りになっただけで、日本国民は、その正気を取り戻し、即ち日本の歴史の連続と、その連綿たることを想起して、同様に還るべき憲法は、明治天皇の発布された大日本帝国憲法であることを、自然の感情とともに、思い出すことであろう。

(そうして、日本人がみづからの手で日本国憲法を起草する素晴らしさは、日本人自身が日本語というみづからの言語の文法を思い出さずには、一行も書けないということにあるのだ。そうなれば、現代国語という名前の学校教育の虚妄も暴かれるであろう。)

憲法の論議をする前に、まづは、天皇陛下が京の御所にお帰りになることを、強く願うものである。天皇陛下が京の御所におかえりになれば、自然と、すべてが整うように、わたくしには思われる。集団的自衛権の議論も、現行憲法の改正の議論も、靖国神社参拝の問題も。

さて、そうすれば、今度は過去を向くだけではなく、未来を向くとどうなるかといえば、天皇陛下が京の都におかえりになるということは、この日本の国の100数十年の公武合体政策の放棄と終焉の、天皇陛下の意志を、国民のみならず、世界に対して発信することになり、また同時に、このことは、近代の国民国家、この白人種の中産階級が、植民地をつくり収奪の限りをつくしてきたこの資本主義という経済制度と、これと裏腹な関係にある民主主義というものについても、もはやこれを一方的に取り入れ倣うだけのことはもうやめるという日本人の意志を世界に発信することになるのだ。

(アジア、アフリカ、中近東、南アメリカの国々が、喜ぶことになるだろう。)

このようなことになれば、大東亜戦争敗戦後の歪な言論空間は崩壊し、自由な議論ができるようになり、あるべき日本の国の姿、あるべき政治制度、あるべき経済制度の話を、誰もが自由におおっぴらにすることができるようになるであろう。

即ち、日本人が自分の頭でものを考えることができるようになるのだ。

更に即ち、天皇陛下が京の御所におかえりになるということの意味は、このように考えて来ると、このように、あの大東亜戦争の敗北というマイナスをプラスに転じることができるということなのである。

戦後70年がたてば、隠れていたものごとが現れて、目に見える事象となるだろう。


さて、以上のことが実現すれば、これを第二次王政復古と呼ぶか、逆方向の王政復古と呼ぶか、逆遷都と呼ぶか、そのほか何と呼ぶか、もうそうなれば、それは枝葉末節のことだと思われる。しかし、やはり、王政復古という歴史的な言葉の意味は、深いのである。深いという意味は、ひとのこころに届くということである。