2021年2月5日金曜日

私の本棚:深田萌絵著『日本のIT産業が中国に盗まれてゐる』を読む

これは題名通りの内容で、中身の紹介をしても仕様がない。中身が濃すぎるからです。要するに、中国が日本のIT産業の技術を盗んでゐて、日本の政府も行政府も確たる国家安全保障の考へを欠いてゐるために、私たち国民の生活と日本の国を非常な危険に晒し続けてゐるといふ事実を詳しく丁寧に書いた本である。文字通り買ふに値する本です。以下、私が学び知つたことのみに徹して続けます。本を買つて読んでください。


最初の「プロローグ日本人にとって本当の戦いが始まった」14ページを読むだけで、相当の情報の量と質が詰まつてゐて、これを土台にして読むと第一章から終章(第四章)までの内容が一層構造的に、今IT通信産業の世界で何か起きてゐるかを、中国共産党が1999年に『超限戦』の発表と同時に仕掛けて来てゐる戦争との関係で、より深く正確に理解することができて、あなたが日常ネットとマスのメデイアに流通してあなたの手元にやつて来る情報の真贋を見極め、また独自に自分の頭で情報の評価を下すことに、大いに役立つ、これは良書です。


本当は啓蒙書と書きたかつたが、この此の語彙の選択に私の躊躇するところは、もはや18世紀的な啓蒙の速度ではIT技術と此の技術革新に因る時代の進展速度が早すぎて、著者の啓蒙書はそのまま告発書と呼ばざるを得ない性格の本にならざるを得ないところまで現実的な事態の進展は来てゐるといふことだからなのです。今や、啓蒙書は告発書になつてしまつた時代を私たちは生きてゐる。啓蒙しようとして事実を書けば、さうなる。ですから、専門家が安全保障の一冊の本を書いて出版社から出したとして、たとへそれが啓蒙書であれなんであれ、書店の書棚に並んだ時には既に時代遅れの本になつてゐて、書いてある内容は既に現実の生活には、即ち私たち個人が一人一人我が身を安全保障するためには役には立たないといふことなのです。このことのよく分かる、良い本です。この著者には別に『5G革命の真実』といふ本も書いてゐて、この時も私は著者の文章の持つ散文性の高さに驚きましたが、この本の略歴を読んで、ICチップ設計とICチップ応用解決策提案会社の経営者であることを知つて納得しました(本人はコンピューター・ソリューション開発企業の経営者と自らを呼んでゐる)。それにまた『5G革命の真実』を初めて読んだときに驚いた此の「女だてらに高い文章の散文性」は(これは褒め言葉である)、自筆の後書きを読むと高校生時代からブルーバックスを読むのが好きだつたとあつて、実は此の著者は、これだけ思考論理性が高ければ、安部公房のよき読者となる筈です。どうか安部公房を読んでをくれ。本人は画学生であつたやうですから、その絵も非常に論理的な散文性の高いもかと想像します。しかし逆に非常に抒情性に富んだ絵かもしれない。かういふところが人間と藝術の関係の面白さです。本人はネット・メディアのチャンネルでは、私にはよく意味のわからぬ「ITビジネス・アナリスト」を名乗つてゐますが、その意味がよく分かつた一冊でもありました。この著者の本名は、不可思議萌絵といふのではあるまいか。


今の世の中を眺めるときに、『超限戦』の戦争に対抗し打ち勝つためには、同じ平面上で、次のやうに世の中を眺める必要があるといふことです。世の中の世は、I T通信技術の発達によつて、もはや世界といふ意味になつてしまつた。紫式部が聞いたらさぞかし驚くことだらう。


1。情報技術分類

(1)半導体技術

(2)仮想通貨技術

(3)人工知能技術

(4)通信技術


一つの技術が話題になつた時に、これら四つの技術分類の項目から当該技術の吟味をすることである。これがそのまま国家と個人の安全保障について考ヘることになります。情報技術分類は同時に、その反面は諜報技術の分類になることを、あなたの心に銘記して下さい。即ち、あなたの手にする俗称スマホがそのまま諜報技術の結晶だといふことです。これが、この本のプロローグの教へるところです。さて、その上で、次のやうな分類を併せもつて情報を読み解く必要があります。中国共産党を以下中共と略称します。


2。中共脈の分類

(1)法人脈(会社脈)

(2)個人脈(人脈)


これには更に、表・中共脈と裏・中共脈があるので、


3。表裏分類(中共脈を含む)

(1)表脈

(2)裏脈


といふ二面で、あなたの手元に来る情報を、技術に限らぬ情報、例へば社会事件、政治事件、経済事件であつても、読む必要があるといふことです。このことを此の本は教へてくれる。


もう一つの分類は、著者がソフトバンクを巡る腐敗中共脈のことから得ることができる次の分類です(同書11ページ)


4。傀儡人形劇分類

(1)傀儡(かいらい・くぐつ)

(2)人形使ひ


この人形劇または傀儡といふ文字の方がおどろおどろしくて私は好みですが、このクグツ人形劇を監督する舞台監督が他にゐるだらうといふことになりますので、この分類は、


4。傀儡人形劇分類

(1)傀儡(かいらい・くぐつ)

(2)人形使ひ

(3)舞台設定・監督者

(4)脚本家(シナリオ・ライター)


といふ風にした方が実利的な情報分析ができるでせう。


(4)は今やディープ・ステート(DS)と呼ばれて世界に有名になつてしまつて舞台の上に上がってしまつた。このシナリオにそつて舞台に上がつてゐる傀儡たちの集まりがビルダーベルグ会議であり(これが上記(3)の、各国家に帰れば統治者として振る舞つてゐる人間たち)、この会議の決定を受けて動き廻る傀儡であり人形であるのが、政商・代理人の政治家・代理人の役人ども、といふことになる。これらが(1)である。残る(2)は政界・財界・官僚界にゐる要衝に当たつて本来は国を守る現場の長足べき何とか政務次官などといふやうな肩書きの人間たちでありませう。勿論官僚界のみならず与党ならば幹事長とか政府ならば官房長官とか、まあ、非喜劇を演じてゐる。いふまでもなく、当人には喜劇(何しろ喜びであらう)、しかし国民には悲劇(観るだに悲しい)。


さて、勿論、上記の4番目の分類は、2番目の表裏分類と併せて、私たちはスマホ時代のpersonal journalistとして情報分析をすべきなのです。


上記に「腐敗したソフトバンク」と書いた理由は、国民の利益に反しまたは損なふといふ意味です。著者は此れにソフトバンク社員がファーウエイ社員に頻りに深圳旅行接待を「おねだり」されたといふ後者の元社員の言葉を引用して説明してゐるところを見ると、これは中共である以上、確実にマネー・トラップのみならず、ハニー・トラップも仕掛けられてゐる。


更に、もう一つの分類は、通信技術の世界のみならず、著者がよく口にする中国・台湾のシンジケート青幇(ちんぱん)に典型的な様に、一言でいへばネットワークで私たちはものを考へねばならない時代になつてゐることを自覚すべきだといふことです。シンジケートもネットワークの一種です。上記に書いた「2。中共脈の分類」も「3。表裏分類」も脈といふ一文字で私の言ひ表したかつたことは、ネットワークといふ意味です。


北朝鮮の拉致被害者のご家族である横田めぐみさんのお母さんが或る時インタヴューに答へて話す言葉が、本来ならば外務省の役人や国会議事堂の中にゐる政治家の発言であるべき言葉なのに私は怒りを覚えたことがあります。一体何故、庶民が国家を代表した言葉で訴へねばならないのか、と私は怒つたのです。政治家も役人も何も仕事をしてこなかつたといふ事実を、この横田早紀江さんの言葉が天下に示してゐた。ここで私は、恥を知れ、政治家ども!(もはやドモである)、恥を知れ、役人ども(これもドモである)と心中、叫ばずにはゐられないのです。


同じ思ひを、この著作を読みながら思ひましたので、最後に著者による後書き「おわりにー人権のパラドックス」から最後の二段落を引用して此の書評を終へることにします。日本人といふ人間を奪はれ、今度は国家の命までも奪はれてゐて見て見ない振りをしてゐるのか、恥を知れ!十把人からげの非人どもよ!ICチップは、私たち日本人の米粒である。これは深田萌絵といふ一企業経営者の口にする科白ではなく、本来は政治家と行政官僚のいふべき言葉である。何故この後書きが「人権のパラドックス」と題してゐるのかを、政治家モドキと役人モドキにとくと読んでもらひたい。国家予算を費消してもしても良いから(これは無駄遣ひではないから)、この本を政府は買ひ込んで国会議事堂内と霞ヶ関に配布して、日本国民に対して各省庁のホームページで彼奴ら(もはやキャツラである)に感想文を発表させて、これを国民に提出しなければ、お前の給与を減額するか賞与は今年はないぞ位のことを言つてみろ。これが私人のいふべき策か?坂本龍馬ならば船中八策を書いたのであつたな。それなら、深田萌絵は女龍馬であらうか。判断は読者にお任せします。ご一読下さい。時代はは今やIT幕末時代であることが分かります。


「金融政策だけで景気を刺激するのは限界で、技術流出の防止や産業政策に力を入れるべきである。国家が明確な技術ロードマップを持って資本投資を行い、民間セクターで賄得ない技術防衛政策について補うべきである。それには、米国のように体系化された「知」と、長期的で柔軟な「計画」、そして、国境を超えた技術スパイという国際犯罪に立ち向かう強い国家の枠組みが必要だ。

 わが国が、知見の高い民間の識者をより多く起用して知の体系化を図り、官僚や政治家のサポートとなる国家のシンクタンクが設けられることを期待してやまない。」


知の体系化も長期計画もシンクタンクも、皆、あれもこれも今の政府と官僚に最も欠落してゐる能力である。この本の出版されたのが2018年12月。この月からこれまでの間にも私たちの手元から失はれたものがたくさん見えない形である筈です。その失つたものを今武漢ウイルスまたは新型コロナと呼んで総称してゐるのではないか?


この本を手に、あなたの、自分の頭で考へてもらひたい。