2012年12月17日月曜日

時間泥棒とは何か 5 -人生の目的の実現と経済的な自立について―


時間泥棒とは何か 5 -人生の目的の実現と経済的な自立について―


人間には、意志があります。

意志があって、こうしたいとか、そうはしたくないとか、色々と思い、また考える。このような状態にあるとき、不思議なことに人間はいつの間にか、人生の目的を持っています。

それは、何故でしょうか。意志は盲目的で、そもそも目的を欠いているから、意志は目的を発明するのだというのが、ショーペンハウアーの説明です。しかし、今はその方向には敢えて行かず、目的に沿って考えてみることにします。

この稿の目的は、あなたの意志が目的を持った場合に、どのようにその目的を実現するかということ(計画)と、その実行を行うと起きる周囲との軋轢を、目的実現という観点から、どのように解決を図るかということ(手段)について考えることです。

このことを考えるときに、わたしはいつもドイツの文豪ゲーテの書いた長編小説「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」を思い出します。そうして、そこに書かれていたことを糧として、考えを先に進めます。

この小説はヴィルヘルム・マイスターという演劇を志す青年が修業の旅をして、人間として成長する話です。この主人公自身であったか、あるいはその他の登場人物の一人が主人公に語ったのであるか、あるいは、作者であるゲーテが地の文に顔を出して語ったのであったか、次のような言葉がありました。

主人公の願いが、何の障害も無く、思った通りに実現する話の筋をストーリーというのだ。これに対して、主人公の願いが、いつも障害に会い、いつもうまく行かない話しの筋をドラマというのだ。

という、話の筋書きに関する言葉です。

後年、このふたつのことを合わせて一言、シナリオというのだと知りました。成る程、シナリオとは、そのひとにとっての最上最善の場合と、そのひとにとっての最悪の場合のふたつを事前に計画に入れて、話しの筋を進めることです。

わたしは16歳の5月に人生の計画を立てました。それが何日であったかまで、日記が残っていますので特定することができます。当日のページに、この少年は、左から右に矢線をひき、次のように時間を按分したのです。

1.16歳から30歳:理論を学ぶ。

2.31歳から50歳:実践する。

3.51歳から87歳:白紙です。

4。87歳:死亡する。

この場合、一番左にある実現すべき項目は、すべて文学と言葉の勉強に関係することでした。

この日記に文字にはなっておりませんが、わたしが宇宙がどのように出来ているのかを知りたい、そうしようと決心したのは、大体小学校の3年生の頃だと思います。それから、言語とは何かという問いに答えることを決めたのも、同じ時機でした。何故ならば、人間同士の誤解の根底にあるのは、幼い頭で何度考えてみても、言葉だという答えに立ち戻ることを繰り返したからです。これらのこころは、そのページの裏に隠れて、見えないインクで書いてあったというわけです。(実際に、振り返ってみれば、上の3つの時期の通りに、わたしの人生の節目がやって来て、少年の書いた設計図通りに、計画を実現していたのです。)

これらの問いに対する答えが出たのは、39歳のときでした。それをわたしは一言、言語は機能だといっております。機能とは、function、関数ということです。宇宙という宇宙は、このように出来ております。この話は、老子のところで既に触れましたが、また別のときに、機会があれば話をしたいと思います。(時間泥棒とは何か 2 ーコミュニケーションとは何かー:http://word-eyes.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html

さて、わたしは、16歳の少年のひいた設計図でいえば、今3番目の時期を生きていることになります。今のわたしの人生は全くの白紙の状態の人生です。何をやっても新しい。

この間、多くの時間泥棒に逢ってきました。好むと好まざるとにかかわらず、時間泥棒がやって来るのです。特に、若い、世に出たときには、尚更、本当にどの人この人が時間泥棒でした。それは、何故、自分自身で気づかずに、ひとは時間泥棒になるのか。わたしの考えでは、次のふたつのことに原因があります。人生の先輩である筈の人間たちが、

1.計画を立てない。

2.体系的に考えない。

即ち、これらのことを、俗に言う反面教師として逆のことをすれば、あなたは他のひとに対して時間泥棒ではなくなります。

1.計画を立てる。

2.体系的に考える。(考えるとは体系的に考えることですから、実は「体系的に」とは贅語です。)

勿論、わたしの出逢った全てのひとたちが時間泥棒であったのではありません。こう考えて来ると、やはり、学ぶこころは大切だと思います。それから、謙虚であること。

こうして来ると、やはり、古代から人類が唱えてきた徳目、即ち人格を陶冶してその人に備わる徳目を備えた人間になるという修業が大切になるのでしょう。学ぶこころがあれば、どんな経験も無駄ではなくなります。

しかし、他方、わたしはお説教や、知ったような寸言や、一時凌ぎの慰めの言葉やその他諸々の通俗的な道徳に関する理解と表現を嫌う人間であることを知っています。

(わたしのこのような考えでは、その人間の幸せは、もしそのひとが指導者、統率者、統帥者でないならば、そのように体系的に思考し、組織、即ち社会の計画を立てて実行する、徳を備えたそのような支配者に支配されることが、その人間の幸せだと思っています。しかし、現実はいつも安易な期待を裏切るわけですが。)

このように考えると、既に今まで考察して来たように、人は孤独を抱えて生活しなければならない。このとき、計画とは、その人の人生の計画を立てることになります。

あなたの人生の計画の目的と、あなたが帰属する社会の計画の目的とが一致することがあれば、それは幸せなことです。しかし、多くの場合は、そうではない。さて、その場合には、一体どうするのか?という問いに答えるために、様々なノウハウが世上には、調べてみますと、あります。

この場合、あなたの意志に由来した人生の目的が、あなたの帰属する社会に合致していない、あるいは乖離が甚だしいときには、あなたが給与生活者であれば、あなたはその社会を離れ、より実現性の高いと考える社会を求めて離職し、転職することになるでしょう。

しかし、わたしが考えるのは、奉職すると同時並行で、起業をすることを考え、経済的独立を獲得するその準備をしてはどうかということなのです。もう今は時代がすっかり変わってしまい、企業はその人の一生を保証するという考えそのものが、大企業においても、無くなりました。

さて、どうやってものを考えて、何をどうしたらよいのだろうと、ここに至ったときに、経済的な独立のためのワークシートを次回掲げますので、それを使って、あなたの人生の目的を発見し、計画を立て、実行してもらいたいと思います。絶えず見直し、新しいものにアップデートしながら。

今、この原稿を書いている時点で、わたしのこの言葉の眼の読者の年齢は、若者から中高年の年配者まで、老若男女を漠然と考えております。実は、どのような方が読者なのか皆目わからない。今日より早い日はない、という言葉は、わたしが10代のときに、ある先生から教わった言葉です。この言葉は折に触れ、わたしの胸裏に去来したものです。

今日より早い日はありませんから、そのような起業の準備をなさることをお奨めします。

さて、このように書いて来て、ここから先は次の2通りに道筋があります。

1。具体的な時間泥棒撃退法を論じる。

2。起業のためのテーマの探し方をお伝えする。

まづ上の1を考えてから、2に移りたいと思います。とはいへ、わたしのことですから、逸脱をすることがあるかも知れませんので、その場合は赦されよかし。

(この稿続く)

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