2014年12月29日月曜日

coin-button-wappen



coin-button-wappen

今日京王線という電車に乗っていて、目の前の女性のオーヴァーコートのボタンを眺めながら、次のようなことを考えた。そのボタンが実に装飾的で、しかし他方簡素であり、とはいへ彫刻的で立体的な浮き彫りの施した、ある種の凝ったボタンであったことがわたしをこのように考えさせたのである。

この3つはよく似ている。

1。形状
2。そこに、図柄のあること
3。コインはdocumentaryであるのに対して、Wappenは象徴的であること。

さうすると、buttonは、その中間の形状ではないだろうか。何故ならば、丸い、図柄がある、留めるという実用的な価値がある、しかし他方、無意味なところに(つまり留めないところにも)ボタンをつけるということを人間はする、即ち目的と無目的、意味と無意味の両方を繋ぐcoinであり、同時に(同時にとは何か?であるが)wappenの合わせたものが、buttonではないだろうか。

そうして、人間は、このような3つの一式を、実際にはよく作るものではないだろうか。古代から現代に至るまで。例えば、

社会的・文明的な交換価値を持つものー身体に密着してあるものー社会的なある部族や一族の代表的な価値を代表する図柄や紋章、即ち、

国家ー個人ー部族又は一族

これが、coin-button-wappenの意義と意味である。

さて、そうすると、これらとその関係に似た一式には、次のようなものがある。

(1)貨幣ー財布ー株式会社(部族、tribe)
(2)法律ー文学(体に留めるものとしての文学)ー家族
(3)XーネクタイーY
(4)X-ネックレスーY
(5)Xー煙草ーY
(6)X-唇ーY
(7)X-眼ーY
(8)Xー人間ーY
(9)Xー蠅ーY

このように考えてくると、何かの両端の真ん中の物の名前と事の名前を真ん中に措くことができることに気がつく。

ということは、ほとんどすべての物事が、この位置に収まるのではないだろうか。

そうして、日常の中で、両極端を考えてみて、それらの名前をつけてみること、これが大切なことではないだろうか。




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