2014年12月27日土曜日

住みたき場所、棲みたき場所:Wohnort, Verstecktes Ort:living place, hidden place


住みたき場所、棲みたき場所:Wohnort, Verstecktes Ort:living place, hidden place

やはり、懐かしき名前のつけられた場所に住んで、棲み、そこで人生の最後を迎えたいものです。

これは、若いころから頻りに思っていたことで、折に触れて、何かの折に、さう思ふのです。

今流行りのマンションといはうか、高層住宅群、高層住宅団地に、不動産屋のつけるやうなカタカナ語の、よく意味のわからない、そんな場所、そんな空間には棲みたいとは一向におもはない。

住吉とか、角筈とか(以前東京の新宿紀伊国屋書店の住所は新宿区角筈であった、この古代の名前の素晴らしさを)、伏見とか、瀬戸とか(これはお酒の連想か)、奈良の都のあちこちの土地の名前の中に没したいとおもふ。

さうでなければ、自分でその懐かしき名前の土地と国を創造して、毎日そこに棲む以外にはないであらう。

かうしてみると、懐かしき場所とは、隠された場所であり、そこがわたしの棲みたい場所だということが判る。この場所は、やはりdas Sein、存在といふ以外には、人間の言葉ではないのであらう。

さうしてみると、子供のころ、本当に小学生のころに、少年マガジンであつたらうか、また少年サンデーであつたらうか、当時創刊直後のこれらの子供向け漫画の巻頭特集に、象の谷がその絵と共に語られてゐて、わたしに非常に強く印象を残し、今に至っていることに、大いに関係のあることだとおもはれる。

アフリカ大陸で、象はその死期を悟るとみな、象の谷へ行って死ぬのだといふ。その谷には、象の骨が、その高価な象牙とともに、夥しく描かれてゐた。

わたしは、象の谷で死にたいのだ。

もし、この谷の内部を外部に、外部を内部にすると、それは、そのまま、安部公房の世界になるやうにおもはれる。

『笑う月』所収の「公然の秘密」の世界が現出するといふことになる。

このエッセイ(論考)の主人公は、仔象であって、この形象はそのまま、『仔象は死んだ』といふ安部公房の舞台の形象になっているのだとおもはれる。

それから、この谷といふ形象(イメージ)は、これもまた支那の2500年前の思想家、老子の世界にそのまま通じてゐる。

この外部と内部の反転は、実に、老子の描く谷とそこに流れる川水の形象と相俟って、性愛に満ちた、eroticな形象である。

『仔象は死んだ』も同様の性愛の形象を含んでゐるとおもはれる。







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